からだに意識 食事
こうやって自分のからだに意識を向けていたら、
こんな食事がクリエイトされてきました。
1 豆腐のおろし煮と玄米いなり
2 黄金味噌と酒粕ととろろのお汁
3 ふわふわ豆腐...
4 白和え
5 梅肉あえ
初めて自分で作ったものばかり。
こういうのが今は好きなのね。
微細な感覚を感じて、さらに食べる必要がない感覚にも。
お豆腐中心の食事になり、
今ビールを飲んだらどうかな〜って、試にビールを飲んでみたら、
次の日、眠くて眠くて、かなり寝ました。
アルコールは、やはりからだのエネルギーを消耗するのがはっきりわかりました。
だからデスのファシリテート中には飲まない方がいいのよね。
こんなことをしていたら、思い出した。
私は、少林寺の武術を習っている時に、無性に不食したかった。
食事をしないで生きることをしたくなり、
何度も断食をしていました。...
1週間の断食のために、1か月かけたり、プチ断食もたくさんしました。
ですが、からだが”もういい!”というんです。
そう。食べないと決めている期間は不思議とそれでも大丈夫で、
からだも軽やかになるけれど、
”ずっとは、いや〜〜〜〜〜!”って。
感性は拡大しましたが、
食事をする楽しみは、大いなる喜びであることを知りました。
だって断食あけの食事の爆発的なおいしさ、からだの喜びったらなかったんです。
生きていてよかった〜って。これを感じられたから、断食やってよかったです。
それでね。無理はしないって決めたの。
人生を楽しむのが、今世することだって。
でも自然に食べる必要がなくなるのは、まったくOKです。
今美味しいって感じるのは、食材の命を感じられるものなんです。
人の思いやりを感じたりするものだったり。
飲み物にも変化が、
コーヒー、紅茶、大好きだった緑茶もあまりおいしくないのよね。
断食していた時に、私は水はまったくおいしく感じなかったけれど、
今は、ミネラルウォーターが好きになってます。
これがいいって、冷たくない常温のものをからだは、喜んでいます。
ただ母のからだを感じているだけなのかもしれないけれど、
なんか面白い感覚です。